2014年12月22日月曜日

うんまい!!

 2014年も残すところあと10日ほどです.全国的に日本海側が大雪ですね.東広島市は瀬戸内海側ですが,このところ連日のように雪がちらついています.そして12月17日は最高気温がマイナス0.9℃(アメダス)という真冬日でした.ほんとに寒いです!!

 そんな中,地域日本語教室はどこも年内最後の教室を無事に終えつつあります.こどもたちの「にほんごひろばU18」は12月20日まで.しばらく冬休みです.3年生の1D君は,「え〜宿題がわかんなかったらどうするの〜〜?」と口をとがらせていました.確かに冬休み教室などやってもいいのかなと思うんですけどねえ・・・そんなときはコミュニケーションコーナーにおいで.きっとみんなが助けてくれるよ!!

 一方大人の教室では料理教室が開かれました.毎週日曜日の午後,東広島市黒瀬町で行われている「にほんごわいわい黒瀬」です.この教室にはベトナム人の技能実習生が多く参加しています.ということで今日はベトナム春巻きにチャレンジしました.この日のためにボランティアのNさんが,わざわざ特大の豚肉の塊をお肉やさんに注文してくれました.まずはそれを包丁でたたいてミンチ肉を作ります.日本人はミンチというとスーパーで挽肉を買ってきますが,ベトナム人のみなさんは,包丁でトントンドンドンと盛大にたたいてミンチをつくります.つい若いのに感心と思ってしまいますが,彼らにとっては全く当たり前という感じです.

 揚げ春巻き,生春巻き,ベトナムスタイルのビーフン!!レタス,キュウリ,ニンジンなどに加えてNさんのお庭から積み立ての三つ葉,ミント,しそなどもたっぷり.こうしたハーブはベトナム料理には欠かせません!!バットにたくさん並べた春巻きの横にあしらって「もりつけ」という日本語をみんなで覚えました(もちろん春巻きやビーフンと一緒にもりもり食べます!!)

 ベトナム人グループのリーダー格,VRさんはとってもチャーミングでアクティブな女性です.別の場所で技能実習中の彼氏とは帰国後,即結婚予定とか.二人で日本に来てお金を貯めて結婚.目標がはっきりしていることが,日本での生活を充実した物にしているようです.会社の同僚とその旦那様(VRさんは「おとうさん」と呼んでました)も来て下さって,一緒に春巻きに舌鼓を打ちました.こうした人間関係を作れるところにも,彼女のたくましさ,すばらしさを感じます.先週はスキーにも行ってきたとか.ころんでころんで身体がいたかった〜〜といいつつ顔はニコニコでした.

 ほんとにみなさん,ごちそうさまでした.どうぞ良いお年を〜〜〜〜〜〜!!(

真ん中がVRさん

生春巻き.エビの赤が鮮やか!!ちゃんとエビが見えるようにつつみます

揚げ春巻きにはハーブをあしらいます

ベトナム風のたれは特大ビンで

できたぜい!!

乾杯していただきます.緑のエプロンが黒瀬教室のおとうさん(?)

2014年11月27日木曜日

一歩一歩がやがて・・・実を結ぶ!!

 もうすぐ12月.2014年も残すところあと1ヶ月あまり.U18の子どもたちは相変わらず元気です.定例活動だけでなく,なにか困ったことがあると突然やってくる子もいます.とにかく「そこ(東広島市民文化センターのコミュニケーションコーナー)にいけば誰かいて話を聞いてくれる」というのが,子どもたちのあいだに定着したのでしょう.学校ではない単なるNPOとしては,これが求められる姿なのかもしれません.本音を言えば,自分たちの拠点があって,いつもでオープンザドアというのが理想だけどねぇ・・・

 今週は外国人市民とのスポーツイベントがあり,初めてユニカールに挑戦しました.床の上のカーリングとでも言いましょうか.カーリングのようにブラシごしごしはありませんが・・・バングラデシュ軍団のエキサイトぶりがほほえましかったです.ナイスショットでBさんとハイタッチしたとき,手が真っ赤になりました.あれだけ真剣にやれば,どんなゲームもたのしいよね!!
えんじょい!!ユニカール

 ところで,スピーチコンテストのところでも少し触れましたが,おなじみのVT君が進学を決めました.彼は以前から技術者になって,なにかを作りたいと言っていました.進学先は公立の技術短期大学校ですから,今の彼にとっては最適の学校と言えるでしょう.それにしても中3で日本へ来て4年目,たいした出世(?)です.本当におめでとう!!ヤッチャルとしては,彼に続く子どもたちがでてくれることを切に願うところです.

 彼が合格できた理由はいろいろあります.毎日学校へ行くこと,宿題にまじめに取り組むこと,そしてこれだけはだれにも負けない!という自信が持てるものーバトミントンと数学ーがあること.日本語がままならない子にとって,自分に自信が持てるというのは,なにより必要なことなのです.これらが学校での評価に結びつきました.

 受験システムも彼の状況にあっていました.彼はこのたび「学校推薦(一定の評定平均値以上)+面接」で合格をつかみ取りました.いくら彼が一生懸命勉強しても,“日本式”のテスト(辞書や持ち込み資料などを見ないで自分の力だけでやるテストをわたしはこう呼んでいます)で日本人並みの点を取るのは至難の業です.
 しかし彼が通う定時制高校では,日本式テスト以外にも,いろいろな面で生徒を見てくれます.だから日頃一生懸命勉強していれば,それが評定平均に結びついていきます.全日制のテスト重視の学校だったら,彼の日本語力では,推薦に必要な評定平均まで到達できなかったでしょう.心の中では昼間の学校へのあこがれを持ち続けていたVT君ですが,それでも腐らず定時制高校で彼なりに一生懸命やったことが実ったわけです.

 それにしても合格発表の朝,彼がメールで「先生,一緒に合格発表(ネット)見てください」と頼んできたのには苦笑いしてしまいました.理由は「高校の時も,先生と一緒に見たら合格だったから」だそうです.私としては,もし落ちていたら何と声をかけたらいいのだろうと,心配でパソコン画面を正視できませんでした.先にガッツポーズをした彼とだき合うことができて心底ほっとしました.受かった後,彼は得意そうに胸を張り
「面接で得意な科目はと聞かれて『数学です』と答えたら,いきなり『sign60℃はいくつ?』と質問してくるんだよ.でもちゃんと「√3/2」と答えた!!」
 数学の実力が試されたんだね!私はこの合格を「√3/2」合格!と名付けました.今の彼の希望は,大好きなバトミントンのラケットを作る技術者になることです.なるほどね!!
 
 進学先は実習,また実習の学校です.実習後に書くレポートはもちろん日本語!!ヤッチャル一同彼に,合格にうかれず,今以上に日本語や数学に励まなくちゃ進学してからついて行けないよ!!とはっぱをかけているのですが,いやはや今はそれどころでは・・・

 週末,彼は大阪へ修学旅行へ行きました.おみやげおいしかったよ!!
 広島県代表バドミントンチームのユニフォームで得意げ(??)なVT君


 

 

2014年11月18日火曜日

コンテストは『テスト』じゃない

 11月16日(日),毎年恒例の東広島市外国人スピーチコンテストが行われました.



  今年は13名がエントリーし,うち4名がU18の子どもたちでした.広島大学の留学生が大半の中,小5,中2,中3,高3が日頃鍛えた(??)日本語で精一杯の自己表現を行いました.4人とも子どもらしく(年齢相応に)ピュアな視点から,聞いている人の心にぐっと訴えかけてくるスピーチができました.
 
 小5のISさんのテーマは3年間続けているスポ少でのバレーボール.監督に怒られたときは,兄(やはりバレーボールをしている)のアドバイスにはっとして,自分を見つめ直し反省したそうです.最後には「自分がバレーボールに熱中できるのは周囲の方々の支えのおかげです,ありがとう」と締めくくりました.
 中2のIG君,中3のIAさん,高3のVT君(毎度おなじみですね!)はいずれも日本に来てから今日までのことを振り返りました.期せずして3人に共通していたのは,初めて学校へ行った日のことについて触れたことです.異口同音に,
「日本語が全くわからず心細くて逃げ出したくなった.それでも母国に帰ることはできないんだ.友達が欲しかったら日本語を覚えなくちゃダメなんだ.1人で家にいるより学校の方がいい.だから苦しくても学校へ行くよ!!」
みなさん,子どもたちの正直な声に心から耳を傾けてくださいね.子どもたちは自分の意志で日本へ来たのではない!!その心の叫びを大人は肝に銘じるべきだと思います.

 そして結果発表では,IG君は「東広島市政40周年記念特別賞」,IAさんは「がんばった賞」に輝きました.大人たちに混じって大健闘です.本当におめでとう!!いい思い出になったね.VT君は明らかに準備不足でした.でも彼は2週間ほど前,見事に高校卒業後の進学をきめました!!日本に来たときからエンジニアになりたいと言っていた彼にとって,今の日本語レベルで可能な最良の進路(公立の技術系大学校)です. 

 ところでこのスピーチコンテストの審査委員長は,ここ数年,日本語教育の専門家M教授(広島大学)がつとめています.毎年コンテストの最後に彼の全体総括があるのですが,今年の講評は例年(いつもとてもすてきです!!)にもまして,その場に居合わせたすべての人たちの心に強く残るものでした.

「スピーチコンテストはテストではありません.前に『コン(com,kom)』ということばがついています.これは『ともに,一緒に』ということを意味します.今日は東広島市に住む外国人のみなさんと日本人がともに過ごし,何かを分かち合いました・・・」

 本当にその通りです.子どもたちは本当に良く努力しました.まだまだ未熟な日本語でとにかく5分以上話せる長さの原稿を書き,一生懸命覚えました.でも,子どもたちだけでは,ここまで来ることはできません.ヤッチャルメンバーだけでなく,サンスクエアに集う多くのボランティアが,子どもたちの原稿チェックや練習につきあってくれました.おかげで子どもたちは大きく成長し,私たち大人もいろいろなことを学ぶことができました.子どもたちとつきあってきた日々を鮮明に思い出し,思わず涙ぐんでしまうこともありました(ほんとうに,みんな苦労したね!!).本当にみんなで “ともに” 過ごしてきたんだなあ・・・

 中2のIG君,中3のIAさんは来年3月に帰国します.今回のスピーチは,2人にとっては日本生活の総決算です.改めて『日本での自分』を見つめ直す貴重な時間になったことでしょう.2人(+小学生の弟君)が帰っちゃったらさびしくなるなあ・・・
 
市政40周年記念特別賞の表彰へ向かうIG君

 

2014年11月10日月曜日

そうだったんだね・・・

 クルマを運転しているときは何となく話しやすい.面と向かって目と目が合っていないからだろうか・・・彼の口からそんな話が出てくるとは夢にも思わなかった.その問いは彼にとっては苦しくて迷惑なものだったかもしれない.ゴメンね・・・

 彼はいわゆる『連れ子』である.先に日本に来たお母さんに呼び寄せられ,10代のはじめに来日している.U18では『連れ子』は当たり前の存在になっている(日本中見渡しても,どこの支援者も同じことを口にする).来日後の『連れ子』たちの状況は様々だ.

 ヤッチャルと彼とのつきあいは,来日直後からもう4年近くになる.その間,えらく濃密に関わってくるかと思えば,もう来ないんじゃないかと思わせるくらい音信不通になる.その繰り返しだった.が根気強くコンタクトを保ち続けなかったら,いまごろどうなっていただろう.
 
 彼は中学校になじめなかったし,進学もままならなかった.今でも将来の夢が描けていない.何より彼が何を考えているのかがよくわからない・・・それでも今の彼は,とにかく毎日仕事に行っている.この世界では“定番のしごと”で,工場で一日中立ちっぱなし,身分保障はまったくない.この間は一瞬首になり,また呼び戻された.そんな環境でも,今はそれしかできることはないと割り切っているようだ.

 そんな彼が久々に地域日本語教室の遠足に参加した(その様子はまた書きますね!).のクルマに同乗しての帰路,ほんとにただ何気なく聞いてしまった.
「おかあさん先に日本に来てたんでしょ?お母さんが日本に行った時のこと覚えてる?」
「覚えているよ.おじいさんとおばあさんははじめ『お母さんが日本語の勉強に行くから1ヶ月くらい家からいなくなるよ』って言ったんだ.おれはそのつもりで待っていたよ.でも・・・その後お母さんは帰ってこなかった.おれがまだ10才になる前だよ」

「日本に来ることになったのはどうして?」
「おれって『ちゃらちゃら』(本人がこう言った)してたからね.一緒に暮らしてたおじいさんとおばあさんは,面倒見切れないと思ったんじゃないかな.おれの知らないところで話が進んでいたらしいよ.これは本当のことだけど『明日!!おまえは日本に行くよ』って言われたんだよ.全くなんの予告もなく飛行機に乗る前の晩にいきなりだよ.そんなの有りって思うでしょ?でも本当にそうだったんだ.おれその晩ベッドの中で,この家から逃げ出してやろうと思ったよ.でも,そう思っただけ.行くところないからね.それで翌日,あっけなく飛行機に乗せられた・・・」
 一緒にクルマに乗っていた教室のメンバー(COさん)は涙ぐんでいた.は運転していたからかろうじて平静を保つふりができた.これが現実なんだ.というかU18の『連れ子』たち(いや,日本中の『連れ子』たち)はみな似たような経験をしてきているのだ.

 それにしても“1ヶ月の不在”なんて言い方で子どもがだませる(?),いや納得すると思っていたのだろうか.赤ちゃんだってお母さんが留守するとき,赤ちゃんに気づかれないように出かけると必ずしっぺ返しを食らう.出かけるときは「お母さんはでかけるよ.いい子で待っていてね」と目を見て話しかける方がいい.10才近い子どもなら,むしろ鋭い感性の年頃である.一人の人間として接するべきだ.

  会話の最中の頭に,以前彼からきいたことがよみがえってきた
「お母さんと暮らせるから母国より日本にいる方がいい」
それを聞いたとき,この話は知らなかった.それでも『連れ子』という現実を前にして「それでもお母さんがいいのか・・・」と思ったことはよく覚えている.

 でも,お母さんも苦しかったんだろう.生活のために決断しなければならなかったのだろう.実はお母さん自身も来日後,とても苦労している.日本に来てひとり楽をしていたわけではない.そして今は彼のことを何より気にかけている.彼はお給料をすべてお母さんに渡しているそうだ.お小遣いや必要経費は改めてお母さんからもらっている.そしてお母さんは,彼の稼いだお金をすべて貯金しているそうだ.
「おれのお金は一切使っていないよ」
そのことばで,もCOさんも本当に救われた気持ちになった

東広島市福富町カドーレ牧場

2014年10月27日月曜日

おにいちゃん(??)おかえりなさい

 長い間ご無沙汰してしまいました.汗だらだらのブラジルフェスタから,もう2ヶ月近く,東広島は秋を通り越して冬の気配すら感じられる今日この頃です.

 このところU18にやってくる子どもが少なくなり,活動がやや低調な状況になっている.そんな中,アジアの西の地域から小学生が2人やってきた.日本語はもちろんゼロ,教科学習のレベルは日本(の学校)とはかけ離れている・・・そのギャップの大きさにはため息すら出てこない.しばらくというか当分の間,試行錯誤は続くだろう.

 実はその2人が初めてU18に来たとき,たまたま居合わせてサポートしてくれたのがIさんだ.何を隠そう(別に隠すことは何もない)彼はヤッチャル創設時のメンバーで,当時は大学院生.その立場(?)を生かして,ヤッチャルと大学生ボランティアとのパイプ役になってくれた.大学生の参加があったから,ヤッチャルやU18が今まで細々とでも続けてこられたのだと思う.なんせおばさんパワーだけでは,フレッシュさに乏しい・・・彼はその後,大学院を終了し,めでたく博士様となり,今では大学講師になっている.まだ若いのに本当にたいしたものなのだ!!U18の最初にソフトでやさしいおにいさん(子どもたちから見ればおじさんか??)に指導してもらったおかげで,緊張しきっていた二人の顔はだんだん笑顔になっていった.

 ところで彼の専門は,「音声」という,日本語教育の中でも取り組む人の少ない分野だ.でも日本語ボランティアをしている人たちにとっては,とても興味があるし,一度は聞いておきたい分野である.なぜ韓国の人たちの日本語はあのように聞こえるのか? なぜこのブログでおなじみのVT君の「つ」は「ちゅ」になってしまうのか,なぜSさんは「来て下さい」を「切手ください」と聞きまちがえるのか,日本語ボランティアをしたことのある人なら,思い当たる節があるだろう.
 ということでが彼に講師を依頼し,10月26日にサンスクエアで日本語ボランティア講習会が行われた.日本語らしい自然な発音,自然な話し方をするにはどうしたらいいか,そのコツをたっぷり教えてもらった.彼の講義の中で強く印象に残ったのは,言葉というか話し方(調子)は感情を表すということだ.確かに,いくら相手が日本語を母語としない外国人,他意はないとわかっていても,その言い方はないでしょ!!と思ってしまうことがある.その人が“日本人”と会話をしたいのなら,外国人だからと甘い顔(??)をせずに,相手を傷つけない話し方(調子)を意識させて習得してもらう方がいい.

 彼の講習は,だれにとっても貴重な学びの体験になった.ありがとう.またいつでも帰ってきてくださいね.ヤッチャル&U18のやさしいおにいちゃん(?)!!


東広島へ里帰り(?)です.熱心に講義するおにいちゃん

 

2014年9月8日月曜日

再会

 9月7日,ブラジルの独立記念日であるこの日,東広島市の中心部でサンバの太鼓の音が響き渡った. 

 東広島市にはブラジルとつながる人たちが結構たくさん住んでいる.ブラジルのマリリア市とは姉妹都市になっている.そんなブラジルについて,市民のみなさまにより親しみと関心を持っていただけたらと,初めての試みである「ブラジルフェスタ」が西条中央公園で開かれた.


 当日は久々の気温30度!!ブラジルフェスタには絶好の(?)コンディションになった.日陰のほとんどない会場なので,とにかく暑い!!まずはコーヒー,ガラナのブラジルドリンクでのどを潤す.それからコシーニャ,ソーセージなど,日頃なかなか口にできないブラジルの食べ物を確保!!その場で揚げてくれたポンデケージョはなかなかいける!思わずビールが欲しくなる・・・


 実はこのブラジルフェスタでは,8月のにじいろキャンプ仲間と再会することができた.サンバ体験で丁寧に指導してくれたホーザ・ジ・ヒロシマは,フルメンバー(?)+魅惑的な踊り手さんたちとともに登場.
これまでと打って変わって抜けるような青い空とぎらぎらの太陽が降り注ぐ中,開放感あふれるリズムにリーダーのOさんのホイッスルと歌声が重なり,踊り手さんたちは原色の衣装をふるわせる.でも・・・見ている人は(私も含めて)ちょっとおとなしい.ブラジルではきっと,すぐさま全員が踊り出すに違いない.
ブラジルだったら,みんなが踊り出すのだろうなあ・・・
 そして安芸高田市国際交流協会からは,ともに活動し,話し合った子どもたちがやってきた.彼女たちは日頃からダンシングチームを結成し,各地のイベントに参加している.この日もおそろいの黄色のTシャツで,ほほえましいダンスを見せてくれた.みんなの笑顔に乾杯です!!
ちょっと恥ずかしそう・・・

2014年8月17日日曜日

おめでとう!!

 にほんごひろばU18には,これまで数人の留学生がボランティアに来てくれた.中国語,インドネシア語など,子どもたちはつかの間ではあるが,おにいさん,お姉さんと母語で話す事ができる.親でもない,子ども仲間でもない人との交流は,母語や母文化保持にとどまらず,子どもたちの心に安心と刺激を与えてくれた.

 そんな留学生ボランティアの先鞭をつけてくれたのがIさん(インドネシア)だ.日本語教育専攻の彼女は,日本語能力は折り紙付き.研究で忙しい中,スポーツを愛し,積極的に地域社会に溶け込んでいく.留学生仲間の世話にも走り回る.U18でもインドネシアの子どもたちに対して,いやそれ以外の国から来た子どもたちにも,持ち前の明るい性格で語りかけてくれる.そんな彼女には,FM東広島出演やおとなの日本語教室のボランティアまでも頼んでしまったが,どれも快く引き受けてくれた.

 そんな彼女から突然メールが来た『結婚します!!」結婚式は,ひょえ〜〜,な,なんと,一週間後!!さらに結婚式当日に聞いたら,決心は先月(7月),親への連絡は「つい最近」だそうだ.それでもご両親がインドネシアから駆けつけ,ほんとうにうれしそうに娘を見守っていた.とりわけお父様は,にも丁寧に挨拶して下さり,「ぜひインドネシアにお越し下さい」と言って下さった.Iさんの人柄は,このお二人によってはぐくまれたんだなあと改めて思った.

 本当におめでとうIさん.ご主人(日本人)は,Iさんが研究を続ける事に賛成してくれた.という事は,まだまだ東広島に住んで,これからもヤッチャル一同お世話になる事ができるということだ.なんてラッキー!!これからもよろしくお願いしますね.今度,ご主人と一緒にご飯を食べて(お酒は飲まないからね),結婚に至るいきさつをじっくり聞かせて下さい.

 ところで(インドネシア風)イスラム式の結婚式は,案外くだけた感じでとてもあたたかい雰囲気だった.出席者が座る場所は,一応男性スペース,女性スペースとなっていたが,写真撮影するあたりから一気に入り乱れてわきあいあいムード!!一緒に出席していた中東の女性が「わたしたちの国では,結婚式は完全に男女別々よ」と驚いていたのが印象的だった.

新郎と新婦の父による儀式(なんと新婦Iさんは手前の掌の陰にいる:白いベール)

2014年8月7日木曜日

多文化なこどもたちの夢をひらく!!

  8月に入って,広島県では雨が多いです.全国的に豪雨,猛暑と厳しい夏になっていますが,みなさま体調に注意していきましょう!!

 さて8月2日と3日,呉ロータリークラブをはじめ呉市の関係者の全面的バックアップのもと,『多文化なこどもたちの夢をひらく「にじいろキャンプ」』が行われました.参加した子どもは17人(呉市のワールドキッズネットワークとひまわり21,安芸高田市国際交流協会,東広島市のにほんごひろばU18).つながるのはインドネシア,インド,ブラジル,フィリピン,ベトナムの5カ国.加えて熟年ボランティアと若手ボランティア,サンバ指導だけでなく生活も共にしてくれたホーザ・ジ・ヒロシマの皆さんなど,バラエティー豊かな面々が下蒲刈島に集結しました.
 日頃,自分のグループの中で,なじみのメンバーとは元気いっぱい活動する子どもたちですが,初めて会う仲間には戸惑いを隠せない様子.そんな中,大和ミュージアム見学,バーベキュー,サンバ演奏,松濤園見学とプログラムはぐいぐいと進んでいきます.みるもの,聞くもの,初めてという子が多く,子どもたちは戸惑いながらも興奮ぎみ.
 ただし,このキャンプの最大の目的(目標)は,「子どもたちが仲間とたくさん語る」事です.プログラム構成も,アクティビティの間には必ず話し合いをはさみます.大人が用意したこうした『話す』時間ももちろん有効に活用(?)されましたが,活動や話し合いの合間の時間に,子どもたちはだんだんと自分たちでいろいろな事を話すようになりました.やはり心の中に“抱えているもの”が同じというのは大きいようです.『自分だけじゃない』というのは,安心のキーワードなのかもしれません.しかもお互いつたない日本語です.誰より一番話したいのがそんな友達なのでしょう.

そして,すべてに渡って抜群のリーダーシップを発揮して引っ張ってくれた呉市のIさん,本当にありがとう!!!お世話になりました.

では,そんなキャンプの様子を少しだけご覧下さい.

大和ミュージアム
お泊まりはここです
なすの丸焼き,うんまいです!!
煙いけど,遠火の強火で遠赤外線効果!
みんなでサンバ!!

日本の歴史を勉強します

 

2014年7月10日木曜日

平和で安全

 昨年から安芸津という海辺の町で日本語教室を開いている.このブログでも,何度かその様子を紹介してきた.

 この日本語教室はおしゃべり型というスタイルをとっている.ボランティアと学習者がペア(または小グループ)となり,いろいろな事をおしゃべりする.時には地元情報を交換したり,困り事の相談に乗ることもある.そうしているうちに,自分に必要な日本語を学び,身につけ,使えるようになる事を目指している.今年は文化庁の助成金を得ているので,基本的には文化庁の『カリキュラム案』に沿って話題を選んでいる.これまで自己紹介,公共施設の使い方(安芸津B&Gという公共施設で教室を行っている),交通ルール(自転車で教室に来る人が多いので)など,数多くのトピックの中から自分たちに必要な事柄を選んできた.
 文化庁のカリキュラム案は“日本全国で使える”ものである.それは趣旨から言って全く当然のことであるが,それでも地方の小さな教室に関わる者として,ほんの少し(??)物足りなさも感じてしまう.『地元を知ろう』というトピック(というより視点)があってもいいんじゃないかなあ.自分が住んでいる地元を知るというのは,生活の第一歩であるのみならず,自分がそこにいる存在理由,存在価値を再認識する事でもある.
 まあ文化庁も,地域日本語教室では「それぞれの地域の実情に合わせて工夫」することが大切だと言っている.ということは教室担当者に求められているのは『全国共通から地域密着への橋渡し』ということになる.こりゃあ腕の見せ所(?)かもしれない!!!

「なぜ自分はここに住んで(働いて,家族を持って)いるのか?」
こんな事は,母国にいればふつうはあまり考えない.しかし外国で暮らすとき,この問いは避けては通れない.むしろこの問いに対する自分なりの明確な答えがなかったら,心の安定を保つのは非常に難しくなる.余談だが,この問題に関して切実な悩みを抱えているのが子どもたちである.子どもはまず例外なく,自分の意思ではなく親に連れられて日本に来る.自分が来たくて来たわけじゃないのに,なぜこんな苦労をしなくてはならないのか・・悲痛な心の叫びが聞こえてくる.
 

 安芸津教室では,みんなが今暮らしている地域(安芸津,竹原など)について,その実情,良いところ,不便なところを話しあってもらった.遊ぶところもなく交通も不便,若者が激減している地域である.知らず知らず不満が積もっているのではないだろうか?

 まず,安芸津地区の人口ミラミッドをみんなに見せた.安芸津,大崎上島,竹原市,どこも見事なまでの少子高齢化を示している.頭ではわかっていたが,実際に目でみると,ここまできてるのか!!衝撃的である.比較のためにみんなの出身国,インドネシア,フィリピンなども見たが,こちらは見事な富士山型.違いは歴然としている.
 安芸津教室のメンバーは日本人の配偶者(奥さん),技能実習生が多い.不足する労働力を担っている人,子どもを産んで育てている人・・・みんながいる事で,地域はどれほど助かっているか,活気をもたらしてくれているか.そこをわかってくれたら,私としてはとてもうれしい・・・

 勉強の最後は,みんなが一言話す時間である.今日の共通質問は
「この地域の好きなところ?直して欲しいところ?」

 「食べ物がおいしい」というのは予想できる答えだった.確かに,じゃがいも,びわ,ぶどう,たけのこ,そして牡蠣,さかな,地域の誇る産物がたくさんある.特産物だけでなく,ふつうに食べる野菜,果物なども新鮮なものが簡単に手に入る.外国暮らしでは,食べ物が口に合わないというのは致命的な問題だ.その点は安心できるメンバーである.
 
 私がうれしかったというか驚いたのが,フィリピン奥さんトリオの答えである.みんな異口同音に「平和で安全だから大好きです」「安心して暮らせます.信号で道路を渡ることができます・・・」確かに道路を渡るのが命がけ(?)の国もあるからねえ・・・

 安全,平和,信頼できるパートナー,奥さんトリオは,ここ安芸津(竹原)で,自分にとって一番大切なものを得る事ができたようだ(

2014年6月18日水曜日

やったね!!!

 祝全国大会出場!!
やったね!!
本ブログ登場回数No1の VT君が念願の全国大会(定時制通信制大会)出場を決めた.
中学3年で日本へ来て4年目の快挙である.種目はバドミントン.
来日当初から,ずっとつきあってきたヤッチャル一同,本当にうれしいです.

彼はわざわざスコアシートをもって結果報告に来ました.全国大会出場を決めた準決勝(出場枠は2人),第1ゲーム先取のあとの第2ゲーム.17-20の劣勢から20-21に持ち込みました.それでも相手はゲームポイントです.VT君はそこから3ポイント連取.結局23-21でストレート勝ちしました.この粘りはお見事!!彼の高校のホームページによれば「神がかりショット連発で逆転勝ち」だそうです.

彼の出身地域である東南アジアは,バドミントンが盛んで世界的な名選手を輩出しています.彼も母国にいたときは,毎日,地域にある施設で練習していたそうです.だから,来日当初(中3),彼は中学にバドミントン部がないことを嘆いていました.それでも,得意の数学を心の支えに,日本語と格闘しながら,学校に通い続け(1年間で欠席はたった1日),晴れて定時制高校に合格することができました.そして,そこにはバドミントン部がありました.あのときのうれしそうな顔を,は今でもよく覚えています.

彼は毎年,広島県定時制通信制高校の体育大会に出場しています.高1,高2の時は,地区大会は突破するのですが,県大会では3位どまり.あと一歩の壁が破れませんでした.

定時制高校の部活だけでは物足りない彼は,大学の留学生サークルなどに混ぜてもらって練習に励んでいます.練習場が遠くても,バドミントンだけはいやな顔をせず,せっせと通います.知り合った人が少しでもバドミントンにかかわりがあるとわかれば,進んで連絡先を交換します.この積極性,本当はもう少し勉強にも発揮して欲しいんだけど・・・

2012年12月東広島市教育文化事業団主催のスポーツイベントで
(黄色のウェアの後ろ姿がVT君)



2014年6月11日水曜日

正負の計算は手を動かせ!!

 時々,思い出したようにU18に現れるのがKC2君だ.現在中2,中国から日本に来て4年目である.彼自身詳しくは語らないが,来日事情は結構大変なものがあるようだ.それでも(表面上は)穏やかで浮き沈みの少ないタイプなので,いつも『飄々と』行動している.そんなだからこそ,心の中は?と,気に掛かる子でもある.
 U18では,常連というかコアな熱く濃いメンバーだけでなく,彼のようなひょっこり型のバイプレーヤーも結構いる.そんな子が久しぶりに来ると,私たちはほっとする.あの子の心の中にU18は確実にあるんだな!!
 昨日のKC2君の来訪は,安堵だけでなく驚きと喜びを私たちにもたらしてくれた.ほんとうに元気をもらったよ!!
 

 彼はいつものように飄々と現れた.いきなり紙束を取り出してニコニコしている.それは前期(東広島市立中学は2学期制)の中間試験の問題用紙と解答用紙だった.80点台,70点台,60点台,国語だけはそこまで行かないが,5教科総計は余裕の300点超えである.おお〜〜!!日本人でも,こんなにとれない生徒は多いぞよ〜〜!!
 
  実は昨年,彼はちょっと腐り気味だった.テストのたびに20〜30点台が続いたからだ.2年くらいこのレベルの点をとり続けると,多くの子は感覚が麻痺してしまう.悔しさを感じなくなる.「まだ日本語ができないから仕方ないでしょ」サポートする方も「日本語は難しいからね!」となりがちだ.でも,本当にそれでいいのだろうか?じゃあ,いつまで待ってたらいいの?それより,学年相当の実力のある子に,日本語力を言い訳にしちゃうのは,逃げじゃないの?!?

 低空飛行の時代,口では「仕方が無い」と言っていたが,彼は心は相当悔しかったようだ.悔しいどころか危機感もあったのだろう.その証拠に,バイプレーヤーの彼が,この冬から春にかけては,U18や大人の日本語教室に頻繁に現れ集中的に勉強していた.「珍しくよく来るね」と声をかけると,いつものようにニコニコしていた.

 彼の苦手の一つが数学の正負の計算だった.+,−,を組み合わせた計算がこんがらかってしまう.実は彼は,(−5)+(+2)+(−9)−(+7)−(−5)では,うまく()を外す事ができる.しかし()を外して,−5+2−9−7+5の形になると,とたんに手が止まる.計算記号と符号の区別がうまくいってない.
 私は秘策(?)を授けた.とにかく手を動かせ!ゼロからスタートしてマイナスは左へ進め!プラスは右へ進め!つまりこの計算ならゼロから左へ5(−5),そこから右へ2(−3),左へ9(−12),左へ7(−19),右へ5,よって答えは−14.これを何回かやって体で覚えてから,プラス,マイナスの符号をまとめて−5−9−7+2+5として一気に計算した.はじめからこうすれば,手を動かす計算は必要ないだろう.でも,かずの感覚を体で覚えるのも必要ではなかろうか?何より迷ったらここに戻ればいいという単純な方法を知った事で,彼は安心した様子だった.今回のテストでは,計算問題はケアレスミス以外,ほぼできていた.できなかったのは日本語が複雑でわかりにくい文章題だけだ.やったね!苦労した甲斐があった.
 
 なんだかKC2君は一皮むけた感じがする.ブレイクスルーとでも言おうか.まだまだ浮き沈みはあるだろうが,このままいけば地域の県立中堅(〜上位)校を目指せるという目処がたった.やはり今の彼にとって,大きな目標はここになるだろう.ヤッチャルのメンバーは,本当に元気をもらった.こんな瞬間を見届ける事ができるなんて,サポーター冥利に尽きるというもんだ.

 それでも気に掛かる事はある.
「日本人の友達はいる?」
「教室で話す人はいるけど,学校の外で会ったり,遊ぶ人は誰もいないよ」
同年代の中国人の友達もいないらしい.だから,淋しくなるとU18に来るのかな・・・

 バイプレーヤーおおいに歓迎だ(


どこでしょう?

2014年6月5日木曜日

音楽は共通語!!!

 このところ,まったく!!更新していませんでした(すみません).新高1たちが,それぞれ学校に通い,U18は若干静かになっていました.
 それにしても,最近の事件(ここで言うのだから,どの事件か皆さんは想像がつくと思います)には考えさせられます.学齢期半ばで日本に来て,日本語がおぼつかない,友達作りが難しい,母語も(本人が思う以上に)落ちているから自己表現もままならない,家庭環境も疑問だらけ・・・とにかくコミュニケーション(→人間関係)の問題が,子どもの育ちに大きな陰を落としているような気がします.
 
 昨日,ヤッチャル仲間がこう言ってました.
「(外国につながる子どもたちへの)日本語教育は日本を救うよ!!!」
ほんとにそうだと思います.逆に言うと,それをしなかったら日本は危うい!!ということですねえ・・・
 政府の方針は建設業従事の実習生(5年)や移民受け入れになってきています.少子高齢化が現実に問題になっている中,そうなるだろうなと思いますが,そこに『子どもの教育」という視点は,本当に存在するのだろうか?『労働力』ではなく,トータルな『一人の人間』として,その人たちを見ていく覚悟があるのだろうか?

 ところでU18では,ささやかながら新しい試みをしています.数人が「ギターをやってみたい」と言い出したので,名付けて楽器体験教室.写真は5月31日(土)第1回の様子です(子どもたちに掲載許可もらいました).第2回からはボランティア仲間のベテランギタリスト(?)が,指導してくださる予定です.
 さてKC君は,ようやくドレミファソラシドが弾けるレベルです.中国出身なので『ちょうちょ』『かえるのうた』など,日本の子ならだれでも知っているやさしい曲(1オクターブで弾ける曲)を知らないといいます.それでも『きらきら星』なら知っているというので,それを練習してみました.そこへKFさんが,英語で「Twinkle Twinkle Little Star〜〜」と合わせてきます.まさに「音楽は世界の共通語」いいですねえ〜〜おばさん()は思わず「ビルマの竪琴」のいちシーンを思い出しました(古っ!!)イギリスと日本をつないだものは『ほたるのひかり』『夕空晴れて』『埴生の宿』・・・

 それから森山直太朗『さくら』をの超ヘタクソなコード伴奏で歌いました.ベタですが,ほんとこれって子どもたちの心の叫びのような歌詞ですねえ.次回は6/14です!


音楽は世界の共通語!!
これは宣伝です!!
5月25日(日)から毎週日曜日の午前中,東広島市福富の地域センターで日本語教室が始まりました.センターの方がこんなすてきな看板(?)を作ってくださいました.感謝!!

2014年4月19日土曜日

生活の楽しみを見つけよう!

 東広島市では,多彩な大人向け日本語教室を開催している.その中に,(未熟ながら)が世話役をしている教室がある.以前も書いたように,この教室は東広島市の中心地西条ではなく,海岸の安芸津という所で行っている.学習者の半分は名産の牡蛎産業に携わる技能実習生である.一年目はも学習者もボランティアも手探り状態であったが,学習中思わず本音がでたり,外国人実習生を受け入れる側の悩みやとまどいの聞き役(相談役)になったりしながら,試行錯誤で日本語を学んでいった.

 実は昨年度,は技能実習生たちの生活のはばが狭いということを感じていた.安芸津は交通の便がよくないので,車を持たない実習生たちは出かける機会に恵まれていない.仕事以外は日々の買い物くらいで,あとは部屋でごそごそしている事が多いと思われる.レクリエーションの機会は,ほとんど無いのではないか?そんな彼らを西条の酒蔵見学につれだした時は楽しそうではあったが,その後に行った大規模スーパーでは,買い物,食事など,まだまだ生活に自信がないことを露呈してしまった.
 
 幸いなことに新年度も,教室を無事開講することができた.4月11日(金),昨年度の学習者,ボランティアほぼ全員,さらに新しい学習者も加わって,教室は新たなスタートをきった.世話役として本当にうれしい限りである.この日は,改めて自己紹介をした.その中で,「趣味は?」という質問に,みんなが料理,スポーツ,『小説』を読むなど,今まで触れてこなかった答えを言うのにビックリした.おそらく,みんな慣れてきて,自分の事を伝えたいと思ったようだ.とりわけ牡蛎のS君,R君は,一生懸命スポーツという言葉を探しだし,さらには『羽毛球』(バドミントン)が好き!とまで伝えてくれた.


 今年の安芸津日本語教室は,東広島市安芸津B&G海洋センターに場所を移した.ここは,プール,体育館など総合運動施設である.だれでも安価で運動を楽しむことができる.この環境を利用しない手はない.ということで,手始めに18日の教室では,施設見学を行い,利用申請書を書く練習をした.運動したくても公共施設を借りる『手続き』は,日本語が不十分な学習者にとっては高い壁になる.

 この見学で,牡蛎のR君は「料金が安いのにびっくりした」と語った.中国では倍くらいの値段になるという.ということは中国庶民の給料から考えたら,かなり割高だ!!
「日本は物価が高いと思っていたけど,初めて中国より安い物にであった」

 そして,うれしいことに施設の職員の方からは「利用案内,多言語版が必要ですよね?」という言葉を聞くことができた.日本語教室の活動が,多くの人(外国人に限らず)が地域社会の中で快適に生活することにつながるなら,こんなうれしいことはない.

 今度は,日本語教室主催で,バドミントン@安芸津B&G海洋センターをやりたいなと思っている.机にむかうだけでなく,身体を動かして,いい汗かきながらやりとりするのは,正真正銘の生きた日本語になるはずだ!!


温水プールを見学(あったかいね)

倉庫にはバドミントンのポールもあるよ

2014年4月9日水曜日

新年度がスタートしました

 日本では3月から4月が年度の切り替えだ.東京より1週間くらい遅い(?)東広島の桜も盛りを過ぎつつある中,昨日(4月8日)は各高校で入学式だった学式後,サンスクエアに立ち寄ってくれたのがJ君(来日半年で定時制高校に合格).見違えるようなスーツにネクタイ姿,何ともまぶしい!!
サンスクエアのお隣さんの桜.満開は過ぎた?かな

 さてちょっと遅くなってしまったが,事件(?)が頻発したU18っ子たちの高校入試,とにかく一区切りということで振り返ってみよう.
 結局,U18に係わりのあった子(つきあいの濃淡は子どもによってさまざまだが)で高校受験にトライしたのは11人.このうち高校進学を果たしたのは9人(全日制公立3人,私立1人.定時制5人),叶わなかったのが2人.
 全日制公立合格者の日本での生活歴は,幼児から,小4から,小6からで,それなりの日本語力と学力を兼ね備えていたと言える.一方定時制では,来日半年で合格した子もいるU18っ子が受験する定時制高校は,受験生の半数近くが不合格になる厳しさ(?)で知られている(定員割れでも!!!).不十分な日本語力でも合格した子には,何らかのアピールポイントがあったということだろう.高校進学が叶った子は,大いに勉強し,学校生活を楽しんで欲しいと,ヤッチャル一同心から願っている.
 
 一方,今回,志望をかなえられなかった2人(本当のところ,気持ちの整理はまだついていないだろう),そして実はこのふたりに加えて,U18っ子の中には受験すらしていない子も複数いる.来日のタイミングが悪く,日本でも母国でも中学をドロップアウトしてしまい(卒業資格無し=受験不可),それがゆえもあって高校へ行く気がない子たちだ.みんな17〜19才である.

 98.1%(平成21年度文科省調べ)という日本の高校進学率(定時制,通信制を含む)を見れば,日本の社会では『高卒』を前提にもの事が進んでいくと思った方がいい.例えば専門学校.「外国につながる子」は大学より就職,つまり「手に職」を考えて専門学校を希望することが多い.その多くは「高卒」が受験要件になっている.

 17〜19才で高校へも行かず,そういう子はなにをやっているんだろうといぶかる方もいるのではないだろうか.ご心配なく.この子たちは,ただ遊んでいたり,家に籠もっているわけではない.みんなアルバイトやパートで働いている.東広島には,いや,今や全国に,日本語がほとんでできなくても働ける企業がたくさんあるのだ!!だからみんな,お金はそれなりに持っている.最近,運転免許をとって軽自動車を乗り回すやつまで現れた.「高校なんて行かなくても,俺たちは自立(自活)してるぜ!!」とでも言いたげな感じだ.『生きる』という意味では,なんともたくましい!!
 でも,それは若いからこそできることで,しばらくしたら,ふと自分をふりかえる瞬間が訪れるのではないだろうか?(よけいなお世話だと言われそうだね
 

 高校に行けない子どもたち.これからどうするのだろうか.もちろん中卒認定試験があるから,ドロップアウト組でも高校への道がないわけではない.しかし親にふりまわされ,母語においても学力に問題のある子にとっては,『すべてを日本語で』という試験は,とてもつもなく高いハードルだ.
 
 最近,政府レベルで「外国人を日本へよぶ」のが大きな流れになっている.それはそれで結構なことだ.ただし,一時的に労働力が確保できたとしても,その裏にはこんな現実があることを.政策決定をする人たちは本当にわかっているのだろうか?
 
 ヤッチャルのような市民団体は,そんな子どもたちを,可能な限りのサポートをしながら,静かに見守っていくしかない・・・(

 

 

2014年3月18日火曜日

高校入試事件簿!!

 2014年3月13日,広島県公立高校入試合格発表.子どもたちにとっては運命の日.それは先週のことである.しかし今日現在,まだU18っ子たちの高校入試は継続中で,完全に決着はついていない.もう一回,最後のチャレンジする子たちには,できる限りサポートして,そして祈って待つしかない・・・
 しかし,本当にいろいろなことがあった今年の入試,ちょっと気は早いが,中間(?)総括をしてみよう.

 今年,私たちは全日制,定時制あわせて11名の受験に関わった(子どもによって係わり方の濃淡はあるが).これは「ヤッチャル&にほんごひろばU18」史上最多記録である.もちろん,私たちが把握していない受験生もいるはずだから,実数はもっと多いはずだ.「外国につながる子ども」の高校受験は,東広島市では『普通のこと』なのだ.
 
<高校入試事件簿
1.外国の学校からの直接受験ー願書を放置??−
 外国の中学卒生の受験.過去にも経験があったが,その時は出願まで.今回初めて出願→受験,そして合格となった.目出度いことではあるのだが・・・
 以前ふれた(高校受験の壁)ように,このパターンは,まず書類準備という高いハードルがある.時間との闘いだから,高校に頼み込んで早めに出願書類をもらった。しかし、わたしたちの親心(?)も,そして高校側の親切にもかかわらず,当の受験生はのんびりしたもので(お国柄か??)、願書を2週間も放置していたのだ.私たちは正直言ってあきらめた.相手はあの国である.残りの期間で書類の往復なんて無理,万事休す.しかし2週間後,事態は急転直下,出願前日に準備が整った。Pさんよ,最後に手をさしのべて助けてくれたあの方への感謝を忘れてはいけないよ!!この事件で私たちに残されたのは,あまりにあたりまえすぎる教訓である
Never Give Up! 最後まで諦めるな!!

2.いきなりネットで合格発表
 広島県では,中学の先生が高校に出向き,その中学の合格者リストをもらう(掲示板発表もある).それを中学に持ち帰り,担任が生徒に合否を伝える.受験校が遠い場合,わざわざ見に行かずにすむから便利と言えば便利だ.でも,皆さん不思議に思いませんか?「今のご時世,なんでインターネットで発表しないの???」
 あの日,Iの合格発表は10:00だった.合否宣告(?)のための中学集合は11:00.ところが10:01にの携帯がなった.あいつ,待ちきれなくて高校まで掲示を見に行ったな.遠い(電車で20分かかる)のにご苦労なこった.ドキドキしながら電話にでたら
「先生!!今,高校のホームページで番号みつけた!!これって信じていいの?」
なんだって??実はは9:58にその高校のホームページを見ていたんだぞ.その時は,誓ってどこにも「10:00からネットで合格発表」なんて書いてなかったぞ.募集要項も確認したけど,そこにも何にも書いてなかったハズ!!
 大慌てでもういちどアクセスした.な,なんと,5分前には陰も形もなかった(あったりまえだ!更新は一瞬でできるんだから)合格者一覧が本当にあるではないか!試しにBの受験校も見てみると,あら不思議,ここにもいきなり合格発表が出現した!!定時制高校は以前から「〇〇時掲示,〇〇時30分ホームページ掲載」って書いてあったけど,全日制は不意打ちが好き?なのかしらん???
 
 すぐに,Iに電話を返す.興奮した声が飛び込んで来る.
 「先生,本当に本当に信じていいんだよね?やった〜〜〜〜!!それでさ,今日,親が家にいないんだ.だからいっしょに高校へ行ってください.お願いします」」
 合格が決まった生徒は,一両日中に「進学します」という意思表示(請書提出)をしなければならない.はあ〜ちゃっかりしたヤツだ.でも,頼ってくれてうれしいよ!
そして教訓<広島県の高校でもネット発表を確認すべし!


3.合格発表日はいつ??
 合格発表を待つ日々.楽しみだけど不安で心は張り裂けそうになる.発表を見に行くまで,まだ結果を見てないのに,ずっと泣きべそをかいてた子もいるくらいだ.それなのに親子とも,発表から2日間結果を知らなかったという珍(?)事件発生!!
 その親はかなり日本語ができる.出願では手助けしたが,それ以外私たちを頼ったことはない(もちろん子どもの勉強はみていた).だから私たちは募集要項を読み,理解していると思っていた.はあ〜ここまで暢気というのは・・・『異文化』に慣れているはずの私たちでも 前代未聞でした.ただし,このことで不利益は被らなかったのですが・・・そして教訓どんなに親が日本語が理解できても,そしてどんなにうざいといわれようと,しつこいくらい確認するべし!!

 次はどんな事件が起こるか,楽しみ(??)になってきた!!

2014年3月8日土曜日

高校入試無事終了・・・あとは待つのみ!!

 2014年3月6日,7日,広島県公立高校入試が行われました.ヤッチャル&U18がかかわった子どもたちは定時制6人,全日制2人の計8人,過去最多人数がチャレンジ.外国の中学卒のふたりも,心配していた書類が間に合い(高校受験の壁),無事受験することができました.子どもたちは,とにかくやることはやった!とニコニコ顔です.

 ところで,苦しい胸の内を吐露していたKI君(進路相談の季節)も,無事受験を終えることができました.彼は2年前にチャレンジしていますが,その時は失敗しています.前回の受験と今回の受験,大きな違いは,彼が試験のことを明るく語ることです.新聞掲載の模範解答にも目を通し,数学や国語で正解をみつけると大喜びしていました.前回,彼は「正解なんかひとつもないし,だいいちほとんど何も書いていない」と,新聞には目もくれませんでした.面接についても,志望理由,将来の夢などを聞かれ,よどみなく答えたと胸を張っていました(ここ1ヶ月,特訓した甲斐がありました!!).
 彼はこの2年のあいだに,高校受験を本当に「自分のこと」として,捕らえられるようになったのでしょう.これを突破しなければ,自分の夢(最近,ようやく考えられるようになった)に近づけないから・・・

 結果は来週わかります.じたばたしてもしょうがない.果報は寝て待て!!(

入試を終えてほっと一息!!
(3人に掲載許可をもらいました)

酒造りのまち西条

 三大酒処といえば灘,伏見,〜〜.1番目,2番目は歴史的にも,語調(?)からいっても異存はありませんが,3番目はどこでしょう?我らが西条(広島県東広島市)では,必ず『灘,伏見,西条』となります.実は関東地方出身のは,当初,これにはかなり違和感を覚えていました(西条のみなさんゴメン!!).それぞれの地域に『おらが酒処』があるんだけどねえ・・・

 なんやかんや(?)言っても,わが東広島市は酒造りの盛んなまちです.その筆頭がJR西条駅(山陽本線)近くの酒蔵通り.酒造会社が集中(8社)していて,赤レンガの煙突,白壁の蔵など,歴史ある町並みを形成しています.


赤レンガ煙突ビュースポット(3本見えますか?)
 そんなわが町を,そして伝統産業を,外国から来た方々にも是非知って頂きたい.そこで2014年3月2日(日),第1回酒蔵見学ツアーを行いました.参加総数35名(外国人20人,日本人15人).東広島市観光協会のボランティアガイドさんと一緒に約2時間,行く先々に試飲もあり,ほろ酔いになりながらの散策.その蔵限定版の貴重なお酒も買えます!!そして外国人だけでなく,日本人参加者も改めて『わがまち』について発見があったようで,なによりでした.
 皆さん,ぜひ出かけください.おいしい西条のお酒を酌み交わしながら語り明かしませんか?お待ちしています(
白壁が続く酒蔵通りを散策

西条のマンホールのふた.情報てんこもり!!

酒蔵の説明を聞く参加者たち
行く先々で試飲!!みんなほろ酔いで見学しました

2014年2月22日土曜日

まさに実感!!まさに本音!!

 早いもので2月も下旬です.まだまだ寒いですね.広島では牡蛎のシーズン真っ盛りです.昨今,広島県の牡蛎産業では,多くの技能実習生(その多くは中国人)が働いています.自分の国を離れ,仕事に追われる日々.早朝,牡蛎を引き上げる海の水は冷たく,牡蛎打ち作業も寒く重労働です.
 
 東広島市は内陸のまちというイメージがありますが,実は海に面していて,牡蛎の名産地『安芸津』があります(町村合併によって加わりました).その安芸津で,2013年9月から日本語教室が開かれています.牡蛎産業で働く技能実習生が来てくれればうれしいなと思っていたのですが,今のところ3人が常連になってくれました.

 昨日(2/21)は『できる日本語』を使って,大きい,多い,うれしい,悲しい,寒いなど,イ形容詞の勉強をしました.ただし教科書だけでなく,随所におしゃべりを挟み,できるだけ日本語を「聞き,話す」ようにします.そんな勉強中,まさに彼らの心の内を映し出すような出来事がありました.

 まずは『うれしい』,これは3人ともOKです(よかった).『悲しい』,これには3人とも怪訝な顔.私は内心「え!こんな “普通” の言葉なのに,まだわかってないの?」(3人はそれぞれ来日1年,半年,3ヶ月)と思ってしまいました.ところが『さびしい』に,3人とも深くうなづくのです.とりわけRさんは『毎日さびしいです』.彼は来日3ヵ月,まさに本音でしょう.日本語経験の一番少ない彼(でも一番勉強熱心)が,きちんとしたセンテンスで答えてくれたので,なんだか余計身につまされました.一緒に勉強していたボランティアさんも「なんだか胸が痛くなります.これが心の叫びなんですね.でも表にだして言うことができてよかったかも」.
 一方,妻子を国に残して来ているHさんは「毎日スカイプしているからさびしくないです」.彼は,いつもこういう答え方をします.でも,強がっているのではなく,彼流の照れ隠しです.半年つきあって,彼の性格が飲み込めてきたので,私はこの答えには安心しています.

 次は『高い』.反対は?と聞くと,3人ともしばらく考えてから,そろって『安い!』.う〜ん,これは生活に密着してますね.『低い』はめったに使わないけど,『安い』は毎日のように使うんでしょうね.調子にのった3人は『〜〜スーパーは高いです.どこのスーパーも高いです』とたたみかけてきます.そりゃ中国に比べれば,そして自分の給料から見れば,日本では何でも高いと感じるのでしょう.さらに『3割引き』『半額』などが飛び出したので,「私も大好きです!」意気投合しました.

 もうひとつは『寒い,冷たい』.「ロシアは『さむいorつめたい』です』
Sさんは「ロシアって何?」.助手のYさん(中国人留学生)が中国語で「ろーしあ」と言ったとたん,Sさんは間髪入れず「寒い!!寒〜い!!ロシアは寒い!」.あまりに実感がこもっていたので,みんな大笑いです.ちなみにSさんは黒竜江省の出身.彼にとっては,ロシア(黒竜江書も含めて?)はまさに「寒い!!」場所なのでしょう.Sさんは,このところ「仕事さえしてればいいんだ.日本語なんて使わないし,勉強なんかしたくない」という気持ちが強くなってきていたので,みんなが心配していました.彼にとって必要なのは,周囲の理解,そして発散でしょう.

 まだまだ,自分から進んで日本語を話すことは少ない3人ですが,半年のあいだに,少しずつうちとけてくれたような気がします.日本語教室が,ちょっとでも胸の内を吐き出す場になれたら,私としてはとてもうれしいです(
日本語教室
安芸津沖のかき筏

2014年2月10日月曜日

住民よ、声をあげよ!!

 節分、立春、そして日本列島太平洋岸の大雪!!は2/3から滋賀県に研修に出かけていました。2/7の夕方帰ってきたら、あれま、大雪になっていました。もちろん東広島だけでなく、多くの地域で大変だったことでしょう。東広島では、冬期、スタッドレスタイヤにするかどうか悩むところです。1年に何回、その恩恵にあずかれるかという降雪レベルなのですが、今回は威力を発揮しました。せっかく(??)投資したんだから、使えて良かった・・・なんて言ったらばちが当たりますね(人の心は複雑です)。

 研修では『多文化共生』について幅広く学びました。お仲間は地方自治体の職員が半数以上で、残りは国際交流協会の職員など。それぞれの地方の取り組みを聞き、改めて東広島の良い点、問題点なども見えてきました。それにしても、皆さんの意識、そしてスキルの高いこと!!日本という国を支えているのは、こういう人たちなんだと改めて感じました。しかもノリの良い楽しい方たちばかり。オンとオフの切り替えも見事でした。

 さて研修では、外国人の集住地区として有名な、三重県四日市市笹川地区*の自治会長さんの話を聞くことができました。笹川では、子どもの放課後学習支援に地域をあげて取り組んでいるそうです。
 実はは、ここを訪れたことがあります(2010年に別の研修で)。その時に、地域全体の状況、保育所、学校、学校外での支援などを見学していたので、今回、笹川地区の自治会長さんの話を懐かしく聞きました。
ブラジル食品店(四日市市)

四日市市国際共生サロン(笹川地区にあります)
 今回のお話しの中で興味深かったのは、笹川地区では、地域住民(協議会を設置)、教育委員会、市役所の多文化共生担当部署が、一体となって放課後支援を運営していることです。2010年には、こうした一本化は図られておらず、放課後支援は2つ(地域主体と学校主体)に分かれていました。
 一本化に不可欠なのは、関連機関の意思統一です。ヤッチャルでも日頃から、教委、学校、行政など、諸機関との連携を必須と感じているのですが、なかなか進まないのが現状です。どうして、一本化がなされたのでしょうか?

「どういうきっかけで、2つの支援教室がまとまったのですか?行政と教委、地域がどうやってつながったのですか?」
「実際にはそんな簡単ことではない。どこの自治体でも、この3つを束ねるのは至難の業です。でも、住民が自ら声を上げたので、それぞれが動かざるを得なくなりました。地方自治体で何かをしたいなら、外国籍住民でも日本人でも、とにかく住民が自ら声を上げることです。特に笹川地区にはNPOがないので、住民の声はより重要です」
 実は自治会長さんは、四日市市役所の職員でもあります。だからこれは行政職員からの生の声とも言えます。
 U18も、もとはといえば外国籍の家族から行政に対して「夏休みに漢字教室のようなものはありませんか?」という問いかけがあってはじまったものです。ヤッチャルも、この時できました。笹川のような集住地区ではない東広島では、地域(自治会)よりNPOが担うこのスタイルが合っていると思います。

もう一つ質問してみました。
「“16才以上問題”についてはどうですか?」
「笹川では、16才以上で行き場のない(またはアルバイトのみしている)子たちの問題への取り組みはまだまだです。パトロールなどはしていますが・・・」
 パトロール、これは『行くところのない』ということを象徴する言葉のように思います。子ども対象のU18だけでなく、大人の日本語教室など総合的に関わることの必要性を痛感させられました。

*NHK『難問解決ご近所の底力』で外国人住民と日本人住民の問題がとりあげられたことがある。

東広島の雪景色(2014/02/08)

2014年1月31日金曜日

高校受験の壁

 もう1月の最終日になってしまいました。東広島一帯では私立高校の入試がはじまっています。U18の子どもたちも、それぞれに受験に向かっていますが・・・

 今年のU18の高校受験は大きく2つに分けられます。1つは日本の中学に在籍している場合。もう一つは、外国で9年の教育課程を終えてから来日し、改めて高校受験を目指す場合です。広島県の公立高校は、ほとんどが在籍中学を通して願書を提出します。つまり、中学に在籍している子は、受験手続きを中学の方で進めてくれます。ヤッチャルは勉強の方に集中していればいいので、余分な(?)心配はしなくてもすみます。


 しかし、この「中学を通して出願」というシステムは「外国からの直接受験」を全く想定していません。今年、そのような希望者が複数いることもあって、県教委、受験校などに、こうした例外(??)的な出願手続きの方法を問い合わせてみました。基本はやはり、出身校を通して出願(成績証明書、願書など)して欲しいということでした。

*卒業して5年経てば、個人出願できるようです。もちろん出身中学から必要書類を取り寄せる必要はありますが
 
 『外国の学校を通して出願』するためには、書類をいったん外国の出身校に送る必要があります。成績証明書などは、その学校に頼んで準備してもらいます。そのためには、時間の限られる中、本国との迅速なやりとりが必要です。受験校の先生方は、親身に相談にのってくださり、可能な限りの配慮をしてくださいました。
 あとは、受験希望者とその家族が、その配慮に応えて、きちんと手続きを進められるかどうかです。どうなることやら・・・

 外国の学校出身者が日本の学校を受験する。実はわが子でこれを経験しています。高校ではなく大学受験ですが、書類準備に気を使うことは共通しています。

 ・成績証明書(高校全学年分)、卒業証明書などは学校の封筒に入れて厳封してもらう
 ・推薦書(が必要だった):所定の用紙を送り、書いてもらい、送り返してもらう。
 ・返信のための送料などを準備する(小切手など)

 一番の難関は推薦書でした。所定の用紙を「外国の学校へ送り→書いてもらい→送り返してもらう」所要時間を考えると、希望校の願書を取り寄せてから超特急での対応を迫られました。は、わざわざ広島市のFedexの事務所まで行き、そこから用紙を発送しました(この方が、東広島の家で集配を待っているより、確実に数日早いです)。


 ひとつ思うのは、こうした所定の用紙は、受験校や教委のHPからダウンロードしたものではだめなのかなあということです。これが許されれば、書類のやりとりは片道だけですみます。公印、厳封などは、願書提出では避けて通れないでしょう。ここを省くことはできませんが、書類ダウンロードができれば、書類送付が片道ですむのになあ・・・

 外国からの受験生の多い自治体では、あらかじめその子が出願基準(教育年数など)を満たしているか、審査をするところもあるようです。秋頃から審査を受け付けている自治体もあります。審査を経て、確実に基準が満たされていれば、安心して受験できます。今後、さらに外国人を受け入れようという政府の動きもある中、広島県も外国の学校卒業生の直接受験を想定しておく必要が生じてきそうです。

 ほんとうに、あの子たちどうなるのかなあ・・・・心配!!(

広島県大崎上島(映画『東京家族』のロケをした島です)

2014年1月17日金曜日

『新年交流会』

 2014年になってから速いなあ・・・お正月、成人式、そしてセンター試験。広島県の高校入試も私立はすでにはじまったところがある。公立受験生も、出願書類を揃えるのに懸命だ。
 
 遅れましたが、ヤッチャル一同、本年もよろしくお願いいたします。

 1月12日の日曜日、毎年恒例、東広島市教育文化振興事業団主催『新年交流会』が行われました。外国人人口の割合が約2.5%という東広島市。多くの方が来てくださり、日本の伝統文化、お正月文化を楽しみました。着物、お茶、お花、餅つき、書き初めなどなど。日頃日本語教室で見かけない顔ぶれも多く、とても新鮮な気分になりました。皆さんの楽しそうな様子をご覧ください(

広大邦楽部の皆さんの演奏で新年交流会スタート
つきたてのお餅はサイコ—!!あんこ餅大人気!!
着物体験。着付けボランティアは大いそがし

お茶ってにがい?熱い?
餅まきで締めくくり。今年もよろしくお願いします!!

 最後に1枚静かな風景を。大崎上島のみかん畑。今年は豊作なので、1月に入ってもたわわに実っていました。