2012年1月21日土曜日

感動したことに感動した

 この時期,U-18の中学3年生で高校受験を希望する子は,自分なりに少しずつ準備を進めている.中でも一番重要なのは面接対策だ.何とかして少しでも良い受け答えが出来て,試験官に自分のことを理解して貰えるように,練習を積み重ねていく.
 昨日はVT君がと一緒に練習に励んでいた.一緒に勉強していたILさんとCT君も興味津々で見守り,時々茶々を入れてきたので,練習はとても楽しい雰囲気になっていった.


「今までに一番感動したことは何ですか?」
これは高校受験の面接にはよくある質問なのだろうか?日本語がおぼつかない子にとって,まずは『感動』という言葉が理解しにくいようだ.うれしかった,すごいと思った,楽しかった,よかった,ありとあらゆる言葉を並べてみる.VT君はしばらくごちゃごちゃいろいろなことを言っていたが,やがてぼそっと言った.
「日本に来る時,空港までたくさんの友だちが見送りにきてくれた.みんな泣いていた」
(実はこの答えを聞いた時,すでには心の中でじんときていた)
「ぼくも泣いちゃった」
みんな一瞬静まりかえった.こんなこと言われたら日頃クールを売り物(?)にしている私だってうるうるしてきちゃうよ(も目頭をそっと拭いていた).VT君はさらに追い打ちをかけてくる.胸を押さえながら
「痛いよ!」
このところ彼はこのパフォーマンスが得意である.今までは「何を大げさな!」というシチュエーションでしかこれを使えていなかった.でも今日は本当にぴったりだ.そんな別れのシーンなら,誰だって(私だって)胸が痛くなる!!


 生まれ育った母国を離れて日本にやって来た(連れてこられた)子どもたち.そこに自分の意志はない.それでも何とかして,今住んでいる国日本で,自分の道を見つけようともがいている.きっと苦しいだろう.本当のところはどうしていいかわからないだろう.でも,この思い出はもがき続けている彼の心を最後の所で支えてくれるに違いない.VT君が感動したことに,私たちの方が感動した.(

2012年1月11日水曜日

家族の名前は?ーぴったりの言葉を知らなくてもー

 ご無沙汰しております.東広島は寒い日々が続いています.みなさまお元気ですか?本年もヤッチャル,にほんごひろばU18をよろしくお願いいたします.
 昨日は2012年最初の活動がありました.インド,ベトナム,インドネシア,中国・・常連メンバーがほぼそろい.いつもの雰囲気で勉強やおしゃべりをしました.インドネシア組は冬休みにスキーに行った(インドネシア仲間でバスを仕立てて)とのこと.とても楽しかったとか.南の国から来た人たちにとっては貴重な体験になったことでしょう.
 ボランテイアの広大生Aさんは昨日めでたく成人式.おめでとう.写真を見せてもらいましたが,赤い振り袖がとてもすてきでした.


 にほんごひろばU18では,勉強に疲れてくると,なんとなくみんなが集まっておしゃべりが始まることがよくあります.昨日も,ISさんが学校の部活でやる活動(なんと,VT君の母国ベトナムについて発表するそうです),たまたま持っていたインド,タイの紙幣の話など,あれこれおしゃべりが弾みました.その中で,印象的だったこと.
ISさんが「ねえ,T君の『家族の名前』はなんて言うの?」
『家族の名前』とはfamily nameの直訳です(ISさんは英語が得意です).つまり彼女が言いたかったのは『T君の名字は何ですか?』ということです.名字という言葉を知らなくても,英語を直訳することで,何とか自分の言いたいことを伝えることが出来ました.


 名字は名前に比べれば,使用頻度が少ない言葉でしょう.「お名前は?」というフレーズは,日本語学習のまさに初日に習いますが,「名字は何ですか?」とは普通使いません.日本人は普通に使う言葉でも,日本語学習者にとっては案外馴染みの薄い言葉というのはありますよね.そんな知らない言葉でも,母語からの直訳,知っている(日本語の)単語を組み合わせるなど,自分の能力を総動員して何とか表現し相手に伝える.この能力は外国語(第二言語)を使う時,必須だと言っても良いでしょう.日本人が外国語を話そうとする時,実は一番不足している能力(と言うか態度)ではないでしょうか.日本語からの単語→単語の直訳だけでなく,もっと柔らかい臨機応変な言葉使いをマスターしたいものです.


 外国語を学習する時,語彙を増やすことは大切です.しかし,なかなか伸びないのも語彙力です.具体的なもの,目に見えるものは入りやすいですが,抽象的なものは大人でも容易には定着しません.まして母語が発達していない子どもの場合,抽象的なものを説明するために必要な語彙を,母語,日本語,どちらでも持ち合わせないことが多いので,ここの壁を乗り越えるのは本当に大変です.それでも,ありとあらゆる自分の能力,自分の知っていることを総動員して(組み合わせて)表現しよう,伝えたいという気持ちと能力(?)があれば,少しずつ道は開けてくると思います.
 一方,子どもたちの相手をする私たちの方は,『家族の名前』という表現が出てきたら,それが『名字』のことだとすぐにキャッチする能力が求められるでしょう.実際に子どもたちが使う日本語は,このようなわかりやすい例ばかりではありません.耳をとぎすまして,繊細なセンサーを持ってないと,子どもたちはいらついてきます.もっともっと修行が必要だな.新年にあらためておもった次第です(