2012年4月30日月曜日

小さな旅ー二級峡ー

 ゴールデンウィークが始まりました。とは言ってもU-18の中学生たちは、浮かない顔をしています。
「宿題たくさんあるんです。休み中も一緒に勉強してください」(自分でやってね!!)


 勉強に追われると、自分の周りを見回してみる余裕がなくなります。せっかく日本にいるのだから、子どもたちには、日本のいろいろな風景を見てほしいです。それも京都、富士山など有名なところだけでなく、自分たちの今住んでいる場所を。そこに小さな発見があれば、もっともっと日本を好きになってくれるのではないかなあ・・・


 東広島からちょっとだけ足を伸ばして、呉(というより広)方面へ。国道375線からほんのすこしだけ入ったところにある二級峡(にきゅうきょう)へ行ってきました(だけです。子どもたちも連れて行きたいけど・・・)。黒瀬川が刻んだ渓谷、落差は約100メートル。東広島の盆地も平坦ですが、お隣の黒瀬町もとても平坦なところです(だからこそ田んぼや畑がたくさんある)。なぜ平坦になったのか、その鍵を握る場所がこの二級峡です。地学が好きな方には必見スポット!!ダムがあるので水流はありませんが、新緑がとてもきれいでした。


*地学や地理の勉強で使えるような写真をできるだけアップしていきますね

二級峡(黒瀬川の浸食でできた渓谷)
二級峡にかかる甌穴(おうけつ)橋
二級峡の岩。どうしてこんな割れ目ができるのかな?
 これは地理の時間によく聞く河岸段丘。東広島市の三升原というところです。真ん中にある白いガードレールが現在の川幅です。こんな小さな川がこんな段丘作ったのかなと不思議になりますが、ずっと昔はそんな小さな川ではなかったんでしょうね。
河岸段丘(段差のあるところ。白いガードレールが川に架かる橋)

2012年4月19日木曜日

新たな仲間も加わって2012年度がスタート!

 4月に入って,ボランティアも子どもたちも新しいメンバーが増えました.17日の活動は総勢21名,盛況でした.    
 インドネシアからのニューフェース4名は,ILさんやIFちゃんに助けられ笑顔で参加しています.やはり母語で話せる仲間がいるというのはいいですねえ・・・
 ISさんは中3ということもあって、以前よりしっかり勉強しようという姿勢が見られます.理科の授業中に進んで手を挙げて答え(日本に来て初めて!),先生が「俺はうれしい!」と言ってくれたとか.とびきりの笑顔で報告してくれました.
 ILさんは6月の帰国が決まっていても,国語も社会もしっかり勉強している様子・・勉強することで(または勉強しにサンスクエアへ来ることで),環境がもうすぐ変わるという不安を抑えているのかもしれません.
 最近中国勢の常連は,CT君とCK君のふたりだけになりました(一時は5,6名いたのですが).ところが二人の間には,あまり密な関係はありません.CN君が高校に入ってから(二日続けて休んでいるという情報あり・・・心配です),CK君はあまり元気がなく,というよりやる気がなく・・・勉強しようという気がないのが問題です.
 VT君は高校に行く前にやってきます。やっぱり仲間がいるところに少しでも身を置きたいということかもしれません.

 こんな様子で新しく加わった仲間にもみんなで声を掛け合って,仲間に受け入れているというのを見ると,私としてはちょっと嬉しく、この活動、細々でも続けていく価値があると改めて思った次第です.(

2012年4月15日日曜日

やっと咲いたね!!

寒かった冬がようやく終わり,東広島に一気に春が来ました.土曜日の黄昏時,ウオーキングの途中に,西条の桜の名所,鏡山公園に立ち寄りました.駐車場は満車.大賑わいでした.大学生のお花見パーティーが多いですが,外国から来た人たちもたくさんいました.みなさん日本の春を楽しんでいますね.(


鏡山城趾と桜
鏡山公園は桜の種類が豊富!!

2012年4月4日水曜日

自動車工場と動物園

3月28日(水),U-18では,マツダ自動車工場と安佐動物公園に行った.参加者は子ども20名,大人4名.子どもたちは元気いっぱいだった(大人はスタミナ切れ・・ふう〜).


 子どもたちの顔ぶれは,常連,夏休みの参加者,兄弟などで,現在のU-18のほぼマキシマムメンバー.国籍はシリア,インド,インドネシア,ベトナム,中国,ブラジル.自動車工場では,実際に車の運転席に座って,ドライバー気分を味わった.動物園ではグループ行動を行い,道に迷ったり,初めて見る動物に歓声をあげたり,隠れて大人を困らせたりと,相変わらずのにぎやかぶりだった.日本の誇る高度な技術に触れながら,友だちとの交流も深まる,有意義な一日となった.(


説明は日本語.みんなわかったかな?

将来こんな車欲しいなあ.

安佐動物公園にて全員集合!!

2012年4月3日火曜日

最高のロールモデル

外国につながるこどもたちとつき合いながら,いつもボス()が嘆くことがある.子どもたちが,自分の将来を描くことができない.だから,勉強に身が入らなかったり,目先のことしか考えられなくなる.良いロールモデルがいれば目標にしたり,自分にもできるかもしれないと思えるのに・・・


 今から10年前,はアメリカで暮らしていた.その時知り合ったのが彼(写真)である.当時,8年生(日本で言えば中学2年)〜10年生(高校1年).現在25才.アメリカの大規模スーパーWのストアマネージャー.先月彼に再会した時「日本で暮らす“外国につながる子どもたち”の励みになると思うからブログで紹介したい.写真も載せていいか?」と尋ねたら,「僕で良ければ」と快く承諾してくれた.


 彼の歩んだ道は決して平坦ではない.メキシコ生まれ,2才の時,家族そろってアメリカに移住(アメリカ国籍保持者ではないので,在留資格では苦労した).移住後,妹が3人生まれ,合計8人の大家族(彼は6人兄妹の3番目)となる.経済的に大変だったが,お父さんは頑張って正規の介護職についた.以後どうにか生活は安定する.
 彼はG4(小学校4年)までスパニッシュスクールに通い,スペイン語で学校生活を送っていた.家族の会話はもちろんスペイン語.G4の時転校し,いきなり英語の世界に投げ込まれる.以後ずっと英語での学校生活.転校した時,英語はほとんどわからなかった.ESLで英語を学び,話すことは得意になるが,勉強には苦労する(まあ,彼本来の性格ゆえでもあるのだが・・・).みんなより2年余計にかかって高校を卒業.その後,昼はコミュニテイカレッジ(勉強),徹夜のアルバイト,明け方睡眠の生活を3年間.スーパーWに就職.サブマネージャーを経て今年,ある新店舗のマネージャーに昇進.目下開店準備に追われている.


 彼が今の職に就き,昇進できた理由は二つありそうだ.ひとつはスペイン語,英語のバイリンガル(読み書きレベル)になれたこと.Wという職場には多くのメキシコ人がいる.上司はもちろんアメリカ人だ.そのどちらもが彼の能力を必要としたのだ.
 彼のスペイン語の読み書き能力の基礎は,低学年でのスパニッシュスクール通いで身についた.さらに家庭ではスペイン語を話すよう,親から厳しく指導されていた(英語のできない母親が,子どもたちが自分にわからない話をするのを嫌ったからだ).アメリカにいるメキシコ人の子どもの多くは,母語であるスペイン語を失ってしまう.親の言うことはわかっても,話す,読む,書くが出来る子はなかなかいない(日本にいる“外国につながる子ども”も,その多くが母語喪失の危機にある).“(低いレベルの)英語しかできないメキシコ人”とアメリカ人が並んだら,勝負は見えている.

 
 もう一つは,生まれながらのポジションのせいか,人とのつきあいが上手なこと.彼の妹(同じWで店員として働いている)に言わせれば
「兄さんは,店の同僚や上司と大変いい関係を築いている.だから昇進できたんだ.私は愛想がないからだめなの」
 10年前,彼は6人兄妹の3番目という中間管理職ポジションを嘆いていた.「生まれた時だって,だれも祝福してくれなかったし,何かにつけて我慢させられるし・・・」でも,その苦労は今の彼の貴重な財産になっている.
 
 スーパーWは能力主義だという.出自や学歴ではなく,仕事内容での勝負.彼にとって最高の職場が見つかったようだ(