2014年11月27日木曜日

一歩一歩がやがて・・・実を結ぶ!!

 もうすぐ12月.2014年も残すところあと1ヶ月あまり.U18の子どもたちは相変わらず元気です.定例活動だけでなく,なにか困ったことがあると突然やってくる子もいます.とにかく「そこ(東広島市民文化センターのコミュニケーションコーナー)にいけば誰かいて話を聞いてくれる」というのが,子どもたちのあいだに定着したのでしょう.学校ではない単なるNPOとしては,これが求められる姿なのかもしれません.本音を言えば,自分たちの拠点があって,いつもでオープンザドアというのが理想だけどねぇ・・・

 今週は外国人市民とのスポーツイベントがあり,初めてユニカールに挑戦しました.床の上のカーリングとでも言いましょうか.カーリングのようにブラシごしごしはありませんが・・・バングラデシュ軍団のエキサイトぶりがほほえましかったです.ナイスショットでBさんとハイタッチしたとき,手が真っ赤になりました.あれだけ真剣にやれば,どんなゲームもたのしいよね!!
えんじょい!!ユニカール

 ところで,スピーチコンテストのところでも少し触れましたが,おなじみのVT君が進学を決めました.彼は以前から技術者になって,なにかを作りたいと言っていました.進学先は公立の技術短期大学校ですから,今の彼にとっては最適の学校と言えるでしょう.それにしても中3で日本へ来て4年目,たいした出世(?)です.本当におめでとう!!ヤッチャルとしては,彼に続く子どもたちがでてくれることを切に願うところです.

 彼が合格できた理由はいろいろあります.毎日学校へ行くこと,宿題にまじめに取り組むこと,そしてこれだけはだれにも負けない!という自信が持てるものーバトミントンと数学ーがあること.日本語がままならない子にとって,自分に自信が持てるというのは,なにより必要なことなのです.これらが学校での評価に結びつきました.

 受験システムも彼の状況にあっていました.彼はこのたび「学校推薦(一定の評定平均値以上)+面接」で合格をつかみ取りました.いくら彼が一生懸命勉強しても,“日本式”のテスト(辞書や持ち込み資料などを見ないで自分の力だけでやるテストをわたしはこう呼んでいます)で日本人並みの点を取るのは至難の業です.
 しかし彼が通う定時制高校では,日本式テスト以外にも,いろいろな面で生徒を見てくれます.だから日頃一生懸命勉強していれば,それが評定平均に結びついていきます.全日制のテスト重視の学校だったら,彼の日本語力では,推薦に必要な評定平均まで到達できなかったでしょう.心の中では昼間の学校へのあこがれを持ち続けていたVT君ですが,それでも腐らず定時制高校で彼なりに一生懸命やったことが実ったわけです.

 それにしても合格発表の朝,彼がメールで「先生,一緒に合格発表(ネット)見てください」と頼んできたのには苦笑いしてしまいました.理由は「高校の時も,先生と一緒に見たら合格だったから」だそうです.私としては,もし落ちていたら何と声をかけたらいいのだろうと,心配でパソコン画面を正視できませんでした.先にガッツポーズをした彼とだき合うことができて心底ほっとしました.受かった後,彼は得意そうに胸を張り
「面接で得意な科目はと聞かれて『数学です』と答えたら,いきなり『sign60℃はいくつ?』と質問してくるんだよ.でもちゃんと「√3/2」と答えた!!」
 数学の実力が試されたんだね!私はこの合格を「√3/2」合格!と名付けました.今の彼の希望は,大好きなバトミントンのラケットを作る技術者になることです.なるほどね!!
 
 進学先は実習,また実習の学校です.実習後に書くレポートはもちろん日本語!!ヤッチャル一同彼に,合格にうかれず,今以上に日本語や数学に励まなくちゃ進学してからついて行けないよ!!とはっぱをかけているのですが,いやはや今はそれどころでは・・・

 週末,彼は大阪へ修学旅行へ行きました.おみやげおいしかったよ!!
 広島県代表バドミントンチームのユニフォームで得意げ(??)なVT君


 

 

2014年11月18日火曜日

コンテストは『テスト』じゃない

 11月16日(日),毎年恒例の東広島市外国人スピーチコンテストが行われました.



  今年は13名がエントリーし,うち4名がU18の子どもたちでした.広島大学の留学生が大半の中,小5,中2,中3,高3が日頃鍛えた(??)日本語で精一杯の自己表現を行いました.4人とも子どもらしく(年齢相応に)ピュアな視点から,聞いている人の心にぐっと訴えかけてくるスピーチができました.
 
 小5のISさんのテーマは3年間続けているスポ少でのバレーボール.監督に怒られたときは,兄(やはりバレーボールをしている)のアドバイスにはっとして,自分を見つめ直し反省したそうです.最後には「自分がバレーボールに熱中できるのは周囲の方々の支えのおかげです,ありがとう」と締めくくりました.
 中2のIG君,中3のIAさん,高3のVT君(毎度おなじみですね!)はいずれも日本に来てから今日までのことを振り返りました.期せずして3人に共通していたのは,初めて学校へ行った日のことについて触れたことです.異口同音に,
「日本語が全くわからず心細くて逃げ出したくなった.それでも母国に帰ることはできないんだ.友達が欲しかったら日本語を覚えなくちゃダメなんだ.1人で家にいるより学校の方がいい.だから苦しくても学校へ行くよ!!」
みなさん,子どもたちの正直な声に心から耳を傾けてくださいね.子どもたちは自分の意志で日本へ来たのではない!!その心の叫びを大人は肝に銘じるべきだと思います.

 そして結果発表では,IG君は「東広島市政40周年記念特別賞」,IAさんは「がんばった賞」に輝きました.大人たちに混じって大健闘です.本当におめでとう!!いい思い出になったね.VT君は明らかに準備不足でした.でも彼は2週間ほど前,見事に高校卒業後の進学をきめました!!日本に来たときからエンジニアになりたいと言っていた彼にとって,今の日本語レベルで可能な最良の進路(公立の技術系大学校)です. 

 ところでこのスピーチコンテストの審査委員長は,ここ数年,日本語教育の専門家M教授(広島大学)がつとめています.毎年コンテストの最後に彼の全体総括があるのですが,今年の講評は例年(いつもとてもすてきです!!)にもまして,その場に居合わせたすべての人たちの心に強く残るものでした.

「スピーチコンテストはテストではありません.前に『コン(com,kom)』ということばがついています.これは『ともに,一緒に』ということを意味します.今日は東広島市に住む外国人のみなさんと日本人がともに過ごし,何かを分かち合いました・・・」

 本当にその通りです.子どもたちは本当に良く努力しました.まだまだ未熟な日本語でとにかく5分以上話せる長さの原稿を書き,一生懸命覚えました.でも,子どもたちだけでは,ここまで来ることはできません.ヤッチャルメンバーだけでなく,サンスクエアに集う多くのボランティアが,子どもたちの原稿チェックや練習につきあってくれました.おかげで子どもたちは大きく成長し,私たち大人もいろいろなことを学ぶことができました.子どもたちとつきあってきた日々を鮮明に思い出し,思わず涙ぐんでしまうこともありました(ほんとうに,みんな苦労したね!!).本当にみんなで “ともに” 過ごしてきたんだなあ・・・

 中2のIG君,中3のIAさんは来年3月に帰国します.今回のスピーチは,2人にとっては日本生活の総決算です.改めて『日本での自分』を見つめ直す貴重な時間になったことでしょう.2人(+小学生の弟君)が帰っちゃったらさびしくなるなあ・・・
 
市政40周年記念特別賞の表彰へ向かうIG君

 

2014年11月10日月曜日

そうだったんだね・・・

 クルマを運転しているときは何となく話しやすい.面と向かって目と目が合っていないからだろうか・・・彼の口からそんな話が出てくるとは夢にも思わなかった.その問いは彼にとっては苦しくて迷惑なものだったかもしれない.ゴメンね・・・

 彼はいわゆる『連れ子』である.先に日本に来たお母さんに呼び寄せられ,10代のはじめに来日している.U18では『連れ子』は当たり前の存在になっている(日本中見渡しても,どこの支援者も同じことを口にする).来日後の『連れ子』たちの状況は様々だ.

 ヤッチャルと彼とのつきあいは,来日直後からもう4年近くになる.その間,えらく濃密に関わってくるかと思えば,もう来ないんじゃないかと思わせるくらい音信不通になる.その繰り返しだった.が根気強くコンタクトを保ち続けなかったら,いまごろどうなっていただろう.
 
 彼は中学校になじめなかったし,進学もままならなかった.今でも将来の夢が描けていない.何より彼が何を考えているのかがよくわからない・・・それでも今の彼は,とにかく毎日仕事に行っている.この世界では“定番のしごと”で,工場で一日中立ちっぱなし,身分保障はまったくない.この間は一瞬首になり,また呼び戻された.そんな環境でも,今はそれしかできることはないと割り切っているようだ.

 そんな彼が久々に地域日本語教室の遠足に参加した(その様子はまた書きますね!).のクルマに同乗しての帰路,ほんとにただ何気なく聞いてしまった.
「おかあさん先に日本に来てたんでしょ?お母さんが日本に行った時のこと覚えてる?」
「覚えているよ.おじいさんとおばあさんははじめ『お母さんが日本語の勉強に行くから1ヶ月くらい家からいなくなるよ』って言ったんだ.おれはそのつもりで待っていたよ.でも・・・その後お母さんは帰ってこなかった.おれがまだ10才になる前だよ」

「日本に来ることになったのはどうして?」
「おれって『ちゃらちゃら』(本人がこう言った)してたからね.一緒に暮らしてたおじいさんとおばあさんは,面倒見切れないと思ったんじゃないかな.おれの知らないところで話が進んでいたらしいよ.これは本当のことだけど『明日!!おまえは日本に行くよ』って言われたんだよ.全くなんの予告もなく飛行機に乗る前の晩にいきなりだよ.そんなの有りって思うでしょ?でも本当にそうだったんだ.おれその晩ベッドの中で,この家から逃げ出してやろうと思ったよ.でも,そう思っただけ.行くところないからね.それで翌日,あっけなく飛行機に乗せられた・・・」
 一緒にクルマに乗っていた教室のメンバー(COさん)は涙ぐんでいた.は運転していたからかろうじて平静を保つふりができた.これが現実なんだ.というかU18の『連れ子』たち(いや,日本中の『連れ子』たち)はみな似たような経験をしてきているのだ.

 それにしても“1ヶ月の不在”なんて言い方で子どもがだませる(?),いや納得すると思っていたのだろうか.赤ちゃんだってお母さんが留守するとき,赤ちゃんに気づかれないように出かけると必ずしっぺ返しを食らう.出かけるときは「お母さんはでかけるよ.いい子で待っていてね」と目を見て話しかける方がいい.10才近い子どもなら,むしろ鋭い感性の年頃である.一人の人間として接するべきだ.

  会話の最中の頭に,以前彼からきいたことがよみがえってきた
「お母さんと暮らせるから母国より日本にいる方がいい」
それを聞いたとき,この話は知らなかった.それでも『連れ子』という現実を前にして「それでもお母さんがいいのか・・・」と思ったことはよく覚えている.

 でも,お母さんも苦しかったんだろう.生活のために決断しなければならなかったのだろう.実はお母さん自身も来日後,とても苦労している.日本に来てひとり楽をしていたわけではない.そして今は彼のことを何より気にかけている.彼はお給料をすべてお母さんに渡しているそうだ.お小遣いや必要経費は改めてお母さんからもらっている.そしてお母さんは,彼の稼いだお金をすべて貯金しているそうだ.
「おれのお金は一切使っていないよ」
そのことばで,もCOさんも本当に救われた気持ちになった

東広島市福富町カドーレ牧場