2013年5月12日日曜日

改めて感じた国境の重み

 早いもので、新年度が始まって1ヶ月以上過ぎ、ゴールデンウイークも終わってしまいました。実はが3週間ほど日本を留守にしていたので、ブログの更新が滞っていました。無事帰国したので再開です。
  
 U18は、新年度も相変わらずにぎやかに活動している。4月からフィリピン、中国、インドネシアなどの子どもたち、ボランティアにも広島大学の新入生など、新たなメンバーが加わった。本当に子どもたちは次々とやって来る。どこでどのようにU18のことを聞きつけるのだろう(まあ、それなりに宣伝もしているが、圧倒的に多いのは口コミである)。そんな新しい子どもたちに出会って、あらためて感じることがあった。それは、みんな親に連れられて国境を越えて日本へやって来たんだなあ、そのことでこれから多くのことを背負わなくてはならないんだなあ・・・ということ。
 
 なんでそんなことを考えたのかと言うと、最高のロールモデルW君 とアメリカで再会したからだ(とても元気だったので安心した)。幼児の頃、親に連れられてメキシコからアメリカへ来た彼。子どもの頃は、正規の形でアメリカにいたのではなかった。だから、学校のオーケストラ(彼はビオラ)が海外公演を企画した時、自分は行かれない(一度アメリカを出国すると再入国するのが難しいから)としょげていた。妹たち(アメリカ生まれでアメリカ国籍保持)が楽しそうにメキシコの親戚訪問の話をしている時、自分はエルパソ(テキサス州にあるメキシコとの国境の町)で待ってるしかないとあきらめ顔だった。幸い今はきちんとした形でアメリカで生活している。だから私も堂々と、勤務先のスーパーの日本進出にのって日本に来い!!と誘っている。
 
 言語、文化、勉強、友達、将来設計、いろいろなことが国境を越える子どもたちにのしかかってくる。その重荷は自らが欲したものではない。親に背負わされたものだ。母国にいたら出会わずにすんだものだ。なかでもW君のように、幼い頃から不法滞在を背負い込まされてしまったら・・・W君は一度も口に出したことはないが、きっと心の中では『なぜ自分がこうならなくてはならないんだ』と苦悩していたに違いない。妹たちは自由にメキシコに行けるのに、そして自分にはなんの責任もないのにと。

 実は今回の旅で、アメリカとメキシコの国境を見てきた。W君がいつも口にしていたエルパソ(テキサス州)ではないが、カリフォルニア州サンディエゴ郊外のSanYshidoroというところだ(メキシコ側の町はTijuana:ティファナ)。サンディエゴからトロリー(電車)に乗って45分ほどで行くことができる。
 この銀色の回転ドア(写真↓)を一押しすれば、そこはメキシコだ。監視の人は誰もいない(一応この先にメキシコの入管がある)。国境を越えるのはなんて“たやすい”ことなのだろう。W君はあの頃エルパソで、こういう『国境』を見つめていたのだろうか・・・

 幸いU18では、今のところこういう状況(不法滞在)にある子はいない。しかしいつかは、そういう子が来るだろう。今いる子どもたちだって、その可能性(危険性)がないわけではない。子どもは親に従うしかない。子どもを連れて国境を越えることの意味を、親はしっかり見つめなくてはいけない。

アメリカとメキシコの国境(徒歩者用)
メキシコ国境へ徒歩で向かう人々

車で行く時はこの標識に従う