2011年7月3日日曜日

こんにゃく、こんちゅう、にゅうどうぐも

 拗音の書き方を勉強中(学校の宿題)のF君(小1)が、私のTシャツを引っ張った。わからないから教えて!と言う。彼ははにかみやである。自分から話しかけてくることは滅多にない。でも、わからないことがある時は、決して放り出さず食いついてくる。これにはいつも感心する。

 プリントには絵が描いてあった。それを見て字数分のマスに文字を埋めていくのだ(拗音のところは一マスが4分割されている)。拗音まで来ているのだから、ひらがな、濁音はすでに書けるようになっている。
 こんにゃく。彼は保育園に半年通ったし、小学校生活も早3ヶ月。その間、ずっと給食を食べている。一回くらいおでんにお目にかかっているのではと思ったのだが・・・食べたことない!と言われてしまった。
 こんちゅうのところには、テントウムシとカブトムシの絵があった。このふたつはちゃんと知っていた。カブトムシは子どもたちに根強い人気がある。保育園では必須ボキャブラリーなのだろう。でもそれらを総称して、こんちゅう、となると荷が重いようだ。
 にゅうどうぐも、これは見たことあると言う。しかし言葉は知らなかった。日本の子なら、夏の空を見上げている時、かみなり、おへそ、なんていう会話(古いかな?)の中で、聞いたことがあるだろう。

 F君はきちんと正確に(日本人の子以上だ)文字を書く。その面では安心して見ていられる。しかし、日本人の子なら当然知っている(と期待される)ボキャブラリー(音、意味、経験)がない。こんにゃくだって、日本人の6才の子なら「冬によく食べる(コンビニのレジの近くにある)おでんの、暖かい、くにゃくにゃしたもの→こんにゃ→なるほどこう書くんだね!」(頭の中にある音声ボキャブラリーを文字化する)となるだろう。しかしF君は、見た(意識した)ことも食べたこともなかった。
 三つの単語に首をかしげるF君を見た時、小1の『国語』で行う文字書き練習は、頭の中に音声を伴ったボキャブラリーをたくさん持っていてこそ(効果的)なのだと改めて思った。
 当たり前のことだが、外国から来た子は日本語のボキャブラリーが乏しい(ゼロからスタートする子も多い)。そのような子が、日本の子と同じように、学校で日本語『で』学習を進めていくのは、たとえ1年生と言えども、本当に大変なことなのだ。(