2012年4月15日日曜日

やっと咲いたね!!

寒かった冬がようやく終わり,東広島に一気に春が来ました.土曜日の黄昏時,ウオーキングの途中に,西条の桜の名所,鏡山公園に立ち寄りました.駐車場は満車.大賑わいでした.大学生のお花見パーティーが多いですが,外国から来た人たちもたくさんいました.みなさん日本の春を楽しんでいますね.(


鏡山城趾と桜
鏡山公園は桜の種類が豊富!!

2012年4月4日水曜日

自動車工場と動物園

3月28日(水),U-18では,マツダ自動車工場と安佐動物公園に行った.参加者は子ども20名,大人4名.子どもたちは元気いっぱいだった(大人はスタミナ切れ・・ふう〜).


 子どもたちの顔ぶれは,常連,夏休みの参加者,兄弟などで,現在のU-18のほぼマキシマムメンバー.国籍はシリア,インド,インドネシア,ベトナム,中国,ブラジル.自動車工場では,実際に車の運転席に座って,ドライバー気分を味わった.動物園ではグループ行動を行い,道に迷ったり,初めて見る動物に歓声をあげたり,隠れて大人を困らせたりと,相変わらずのにぎやかぶりだった.日本の誇る高度な技術に触れながら,友だちとの交流も深まる,有意義な一日となった.(


説明は日本語.みんなわかったかな?

将来こんな車欲しいなあ.

安佐動物公園にて全員集合!!

2012年4月3日火曜日

最高のロールモデル

外国につながるこどもたちとつき合いながら,いつもボス()が嘆くことがある.子どもたちが,自分の将来を描くことができない.だから,勉強に身が入らなかったり,目先のことしか考えられなくなる.良いロールモデルがいれば目標にしたり,自分にもできるかもしれないと思えるのに・・・


 今から10年前,はアメリカで暮らしていた.その時知り合ったのが彼(写真)である.当時,8年生(日本で言えば中学2年)〜10年生(高校1年).現在25才.アメリカの大規模スーパーWのストアマネージャー.先月彼に再会した時「日本で暮らす“外国につながる子どもたち”の励みになると思うからブログで紹介したい.写真も載せていいか?」と尋ねたら,「僕で良ければ」と快く承諾してくれた.


 彼の歩んだ道は決して平坦ではない.メキシコ生まれ,2才の時,家族そろってアメリカに移住(アメリカ国籍保持者ではないので,在留資格では苦労した).移住後,妹が3人生まれ,合計8人の大家族(彼は6人兄妹の3番目)となる.経済的に大変だったが,お父さんは頑張って正規の介護職についた.以後どうにか生活は安定する.
 彼はG4(小学校4年)までスパニッシュスクールに通い,スペイン語で学校生活を送っていた.家族の会話はもちろんスペイン語.G4の時転校し,いきなり英語の世界に投げ込まれる.以後ずっと英語での学校生活.転校した時,英語はほとんどわからなかった.ESLで英語を学び,話すことは得意になるが,勉強には苦労する(まあ,彼本来の性格ゆえでもあるのだが・・・).みんなより2年余計にかかって高校を卒業.その後,昼はコミュニテイカレッジ(勉強),徹夜のアルバイト,明け方睡眠の生活を3年間.スーパーWに就職.サブマネージャーを経て今年,ある新店舗のマネージャーに昇進.目下開店準備に追われている.


 彼が今の職に就き,昇進できた理由は二つありそうだ.ひとつはスペイン語,英語のバイリンガル(読み書きレベル)になれたこと.Wという職場には多くのメキシコ人がいる.上司はもちろんアメリカ人だ.そのどちらもが彼の能力を必要としたのだ.
 彼のスペイン語の読み書き能力の基礎は,低学年でのスパニッシュスクール通いで身についた.さらに家庭ではスペイン語を話すよう,親から厳しく指導されていた(英語のできない母親が,子どもたちが自分にわからない話をするのを嫌ったからだ).アメリカにいるメキシコ人の子どもの多くは,母語であるスペイン語を失ってしまう.親の言うことはわかっても,話す,読む,書くが出来る子はなかなかいない(日本にいる“外国につながる子ども”も,その多くが母語喪失の危機にある).“(低いレベルの)英語しかできないメキシコ人”とアメリカ人が並んだら,勝負は見えている.

 
 もう一つは,生まれながらのポジションのせいか,人とのつきあいが上手なこと.彼の妹(同じWで店員として働いている)に言わせれば
「兄さんは,店の同僚や上司と大変いい関係を築いている.だから昇進できたんだ.私は愛想がないからだめなの」
 10年前,彼は6人兄妹の3番目という中間管理職ポジションを嘆いていた.「生まれた時だって,だれも祝福してくれなかったし,何かにつけて我慢させられるし・・・」でも,その苦労は今の彼の貴重な財産になっている.
 
 スーパーWは能力主義だという.出自や学歴ではなく,仕事内容での勝負.彼にとって最高の職場が見つかったようだ(